どうして私は日本で暮らすことになったのか
「日本に仕事があるんだけど、行く?」 自動車の設計をしていた夫が尋ねた。私の返事は早かった。 「もちろん!外国で暮らすのが夢なの。」
2001年、私は29歳だった。23歳で結婚し、翌年に息子、27歳で娘が生まれた。結婚して子育てをしながらも仕事を続け、娘を産む2週間前まで働いていた。
私が育った頃、結婚した女性は仕事を辞めて家事や育児に専念するべきだという言葉を、周りでよく耳にした。でも私には外で働く生活の方が合っていた。家事にはどうにも自信がなかった。
夫の考えは違った。「僕が稼げなくて食べられないわけでもないのに、どうして家のことをしないの?」と言われても、私は働き続けた。同じ家に暮らしていても、考えは違っていた。
そんな私たちに、日本へ行くという選択肢が現れた。夫が持ってきた条件は、韓国での給与のほぼ2倍に住居費の支援。当時の為替で計算すると、年収は1億ウォンを超えた。 「本当にそんなにもらえるの?詐欺じゃない?」 疑いながらも、「夫って、そんなに優秀だったの?」と思った。
条件は自動車設計の経験8年以上。当時35歳の夫は、その条件を満たしていた。家族で日本へ行くことになり、夫が先に出発した。私は2か月後、子ども2人と後を追う準備を始めた。
外国で暮らしてみたい気持ちが先に立っていた。日本語が話せない私が、子どもたちとどう暮らすのか。どんな人たちと出会うのか。まだ実感はなかった。
あのときは知らなかった。勢いよく口にした「行こう!」が、その後の25年を変えることを。知らない言葉に戸惑い、人との関わりに笑い、泣き、自分の仕事を探し直す日々。私の日本生活は、こうして始まった。
次回 · 子ども2人と100kgの荷物を抱えて日本へ
筆者の経験と記憶に基づくエッセイ。SNS連載を新聞向けに再構成した。